「しつこいくらいの細かい性格」秀吉から部下への手紙発見!

豊臣秀吉が家臣に送った手紙33通発見 
東大グループが復元・分析   2016年1月21日



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豊臣秀吉が家臣に宛てた手紙33通が、まとめて発見された。

400年以上前、豊臣秀吉が家臣・脇坂安治に送った手紙33通。
保管先の火災で一部燃えたり水浸しになったりと状態は悪かったものの、東京大学の研究グループが復元・分析した。

東京大学の村井祐樹氏は「豊臣秀吉のしつこいくらいの細かい性格がよくわかる。佐賀から材木を出せということについて、何度も何度も、あるいは伊賀国の統治の仕方について、あわせると、1年間で10点くらい、たびたび細かい指示を出している」と話した。
豊臣秀吉が徳川軍と戦っていた時代にも、家臣に材木を集めさせ、橋や建物の建築にも力を抜いていなかったことがうかがえる。

これらの手紙を受け取った家臣・脇坂安治は、豊臣秀吉にとって、自分が一から育て上げた部下のような存在だったという。

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脇坂生誕地 滋賀県
脇坂甚内安治の生誕地(滋賀県長浜市小谷)
  小谷いずみ亭(旧いずみレストラン)すぐそば




脇坂安治
秀吉から手紙を多数もらった 脇坂 安治 (わきざか・やすはる)


彼は
賤ヶ岳の戦いで福島正則や加藤清正らと共に「賤ヶ岳の七本槍」の1人に数えられました。

その後、戦国の世を生き抜いた脇坂家。

同じ七本槍の大名たちが、改易・減封と、没落していく中、
脇坂家はなぜか?譜代大名として江戸時代も存続しました。

有名な刃傷松の廊下でとりつぶしになった赤穂藩の「城明け渡し役」を務めたのもこの脇坂家でした。

大名という大身のまま、家名を明治維新まで残します。

天下人と彼の 間柄 が垣間見れる素敵な発見です。






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